Information - Access Damage after Cold Start -

2010年01月01日 00:00

昨年12月に Goo Blog から FC2 Blog に乗り換え、同時に過去ログも新ブログに少しづつ移動していたのですが、ご存じのように3月にブログを休止し、全ログを削除してしまったため、現在、Google にインデックスされることがほとんどなく、よってアクセス数も以前の1/3ほどに激減しています。アクセス数をアップされることが目的ではないのですが、過去にこつこつ書き溜めたログが全く閲覧されないのはちょっと悲しいことなので、今後少しづつ過去ログを加筆・訂正しながら日々のエントリーの間に挿入していこうと思っています。少々見にくくなりますがご了承ください。過去ログにはタイトルの末尾に ReEntry の文字を付けて、新規のエントリーとアップデイトされた過去ログを区別します。どうかよろしくお願いいたします。

Quartto Trevi feat. Max Ionata / Night Walk

2009年11月07日 11:04

max ionata night walk

 


イタリア人テナー奏者、マックス・イオナータ ( Max Ionata , 1972~ ) の通算7作目となる最新作。

今年3月に国内大手のポニー・キャニオンがデ・ジャヴ・レーベルを主宰するイタリア・ジャズ界の重要人物パウロ・スコッティをプロデューサーに迎えてイタリアン・ジャズ専門レーベル、 Norma Blue を発足させた。すでに数枚の作品をコンスタントにリリースしているようだが、今回のマックスの最新作もそのNorma Blueからの一枚である。マックスの作品としては、すでに今年7月に富田聡氏が主宰するインディペンデント・レーベル、アルボーレ・ジャズ ( Albore Jazz ) から『 Inspiration 』 がリリースされているが、国内におけるメジャー・レコード会社からの作品としては初めての作品だ。

本作は一応、 Quartetto Trevi 名義の作品だが、実質上マックスの作品と云って良いだろう。ダリオ・ロスグリオーネ ( b ) 、マルセロ・デ・レオナルド ( ds )、ロベルト・タレンツィ ( p ) のピアノ・トリオをバックにマックスが吹きまくるワン・ホーン・カルテット編成に期待が高まる。マックスの純粋なワン・ホーン・カルテット編成によるリーダー作としては、2003年の『 Little Hand 』 以来6年ぶりである。

マックスの自曲が3曲、ピアノのトレンツィの自曲が3曲、シダー・ウォルトンの≪ Bolivia ≫、有名なイングランド民謡≪ Greensleeves ≫、その他で全10曲。

“ コルトレーンへの敬意を込めたモーダル・ジャズ・カルテットの決定盤 ”  というCD帯のコピーから想像するに、本作のテーマは“ コルトレーンへのオマージュ ” なのか? だから≪ Greensleeves ≫なのか。聴く前から嫌な予感。どうしてもコルトレーンとマックスが僕の頭の中でリンクしないのだ。これはヤリ手プロデューサー、パウロ・スコッティの戦略なのか。そうだよな、“ ロリンズへの敬意を込めたモーダル・ジャズ・カルテットの決定盤 ” じゃ、クラブ・ジャズ界隈では売れないしね。
 
ついでにこの帯について言っちゃうが、 “ モーダル・ジャズ・カルテットの決定盤 ” って、まだ誰も聴いていない作品に対して決定盤はないんじゃないのか。誰が決定したのか?え?よくわからん。

さらに一つ。“ イタリアのモダン・ジャズ史における第一人者、マックス・イオナータ ”  とあるが、マックスって第一人者だったの? ジアンニ・バッソが第一人者じゃなかったの? エラルド・ボロンテは?エンゾ・スパッコはどうなの? ジャンカルロ・バリゴッツィのほうがマックスより後生だったけ? などと突っ込みをいれたくなる。

閑話休題。実際に聴くまでは、もっとモーダルな作品なのかと思っていたが、実際はそうでもない。中にはそういう曲もあるあが、マックス自身はいつもと変わらず歌心溢れる芳醇なメロディーを吹奏する。それに対してタレンツィのピアノはマッコイを彷彿させるモーダルな高速ラインと重層コードでマックスを執拗に煽るのだ。この両者の関係がいまひとつ噛み合っていないように思えて仕方ない。二人の音楽的趣向が全然違った方向を向いているのではないか。

タレンツィが下手なわけでは決てない。むしろかなりの技巧派だ。

Joe Martin / Not By Chance

2009年11月05日 20:57

joe_martin _not by chance



ニューヨークで活躍中のベーシスト、ジョー・マーティン ( Joe Martin , Kansas City , 1970~ ) の最新作。

自身のリーダー作としては、2002年に FSNT からリリースされた『 Passage』 に続く二作目となる。本作の瞠目すべき点は何と云ってもクリス・ポッターとブラッド・メルドーの参加に尽きるだろう。大体において、ジョー・マーティンなんてベーシストを知っている人はほとんどいないだろうから、本作を買うファンは、クリス・ポッター・ファンかブラッド・メルドー・ファンか、あるいは両方のファンだろう。

僕はマーク・ターナー狙いで買ったマーティンの前作 『 Passage』 を所有していたが、その美しいジャケット・デザインは覚えていたものの、その内容についてはまったく記憶に残っていなかった。今回、この新作を聴いたついでに前作を聴き返してみたが、幻夢的な美しさが全編に横溢したなかなかの好盤だった。ただし、やはり彼のベースにはこれといった特徴は聴き取れなかった。

全9曲で、ジャコの《 The  Balloon Song 》 以外はすべてマーティンのオリジナル。デビュー作もそうだったが、彼のオリジナルはとても美しい。別段フックの効いた曲を書くわけではないが、60年代のモード・ジャズに代表される古典的な美と、現代コンテンポラリー・ジャズの浮遊するスリル感が融合した美曲を彼は書くことができる。

率直に云わせてもらうと、彼のベースには聴いてすぐ彼のプレイだと分かるような特徴が見られない。系統的には当然NYコンテンポラリー系にカテゴライズされるのだろうが、この分野ではすでに確固たる地位を築いているスコット・コリーやリューベン・ロジャーズやラリー・グレナディアやマット・ペンマンらなどに比べて、マーティンが音楽的アドバンテージがあるとは到底思えない。( アドバンテージがあるとすれば、前述したように作曲力ぐらいだろうか。)


それでも、生き馬の目を抜くニューヨークのジャズ界で、マークー・ターナー、カート・ローゼンウィンケル、ジョーゴードンらなど、多くの一流ミュージシャンから信認されているという事実を鑑みると、僕らにはわからないそれ相当の音楽的な魅力が彼にはあるのだろうと想像する。

( そのような閉ざされたプロ・ミュージシャンの世界における内部評価って、わかるはずないよね。まあ、どの社会でも外部評価と内部評価の乖離ってあるものだし。 )

閑話休題。兎に角、本作の聴き所はクリポタとメルドーなのだが、このふたり、自己のリーダー作で見せる鬼気迫る超絶技巧のプレイとは違って、比較的普通っぽい演奏をしているのが面白い。まあ、そのあたりに激しく物足りなさを感じるファンもいるであろうことは理解できるが、僕はこの緩い感じの二人がけっこう好きだ。プロは常にパフォーマンスを最大化すればイイ、というものではないのだ。

だからといって彼らが手を抜いているわけでは決してない。弛緩しない程度の緊張感は最後まで持続しているし、頂点を極めた者同士だけに許されたコミュニケーション・プロトコルを用いて、素晴らしいインタープレイを展開している。

メルドーは他のミュージシャンのサポートにまわると、時として非常に人間味のある優しい表情を垣間見せることがある。いわば変身前の姿が本作には記録されている訳で、そこがメルドー・ファンには嬉しいのだ。メルドーといえど、常にクライマックスフォームで戦っているのではない、のだ。

クリポタも余裕のソロを展開しているが、そこは百戦錬磨のクリポタ。他の誰にも真似できない斬新なパッセージを矢継ぎ早に繰り出し、聴く者を圧倒する。

思うに、クリポタの凄ところは、常に未知のフレーズを創造しながらアドリブを構築していけるところだ。世の中には数多のサックス・プレーヤがいるが、どのプレーヤーも似たりよったりのフレーズに終始しているように聴こえる。サックスの機能的構造の制約下のもとでは、吹きやすいフレーズと、指順の関係で極めて吹くのが困難なフレーズがあると思う。その結果、長いジャズ・サックスの歴史の中で頻繁に用いられるフレーズと淘汰されていくフレーズ、さらには歴史上、まったく吹かれることのなかった音列などがあるのだろう。プリポタの凄いところは、そのようなサックスの構造的制約あるいは限界をさらっと超えたところでアドリブを構築できることだと思う。

とまあ、そんなことを考えながら聴いている。各曲の詳細については僕のブログお仲間さんたちが書いているので割愛するが、コルトレーン・カルテットを喚起させるような M-6 《 Once Before 》 やジャコの複雑なコード進行からフリー・フォームに移行する M-5 《 The Balloon Song 》など、なかなか凝った楽曲が揃っていて文句なしの秀盤だ。

最後に録音について一言。面白いことにクリポタのサックスが左チャンネルに、マーカス・ギルモアのドラムが右チャンネルに定位しているのだ。偏っているのではなく、クリポタは完全に左チャンネルからしか聴こえないし、ギルモアは完全に右チャンネルからしか聴こえないのだ。ピアノとベースは中央に定位しているので、このCDをヘッドフォンで聴くとき、左のヘッドフォンをはずして右だけで聴くと、なんとブラッド・メルドー・トリオの演奏になってしまう!  わけだ。録音はあのジェームズ・ファーバーなのだが、こんな録音は初めて聴いた。

Seamus Blake / Bellwether

2009年11月03日 11:36

seamus blake bellwether



ニューヨークで活躍中のコンテンンポラリー系テナー奏者、シーマス・ブレイク ( Seamus Blake , England , 1969~ ) の通算7枚目の新作。昨年、 イタリアの新興レーベル Jazz Eyes からリリースされた実況盤2枚組作品 『 Live in Italy 』 ( 前項あり )  が極めて刺激的な傑作で, ブログ仲間の間でもちょっとした話題になったのも記憶に新しいところ。今回は再びCriss Cross に戻って制作された同レーベル通算6枚目となる作品である。

2007年のCriss Cross 作品 『 Way Out Willy 』 とほぼ同様のレギュラー・メンバーでの録音。デヴィッド・キコスキー ( p ) 、ラージュ・ルンド ( g ) 、ビル・スチュアート ( ds ) はそのまま残留し、ベースがオルランド・レ・フレミングから、オーストラリア出身で現在はニューヨークで活躍中のマット・クローシー ( Matt Clohesy ) に交代している。

全7曲で、ジョン・スコフィールド作の≪ Dance Me Home ≫、ドビュッシーの≪ String Quartet in G Minor ≫ 以外はすべてシーマスのオリジナル曲という構成。この他者の2曲は『 Live in Ilaly 』でも演奏していた曲だ。

冒頭曲 ≪ Dance Me Home ≫からいきなりメンバーの凄技が炸裂。最後列から繰り出されるビル・スチュの煽情的なパッシング。シーマスとラージュの超イカすユニゾン・テーマ。キコスキのスケール感豊かなモーダルなソロも健在だ。原曲はジョンスコの87年作品 『 Loud Jazz 』 に収録されていたミディアム・エイト・ビートの曲だったが、本カヴァは速めのフォー・ビートで演奏されている。  

2曲目≪ A Beleza Que Vem ≫ はスローのラテン・ワルツをベースに、シーマスは優雅なソプラノを披露。本来のシーマスのイメージからはちょっとギャップがあるが、これがまた適度な脱力感を誘う美曲。

3曲目≪ Subterfuge ≫ は再び緊張感あふれる濃密な非フォー・ビート。ここでもビルスチュは頻拍性不整脈パルスを発し、激しくフロントを煽る。今日のビルスチュは乗りに乗っているようだ。ラージュのソロも実に美しい。ジョー・パスの影響も見え隠れするが、ベン・モンダーやマイク・モレノに近い奏法でソロをとる。まあ、彼はどんなスタイルにもアダプトできる演奏力を持っている訳だが。

貫禄すら感じさせる堂々としたソロを聴かせるシーマスの筆による美旋律バラード M-4 ≪ The Song That Lives Inside  ≫。
 
  5/4拍子の浮遊感漂うタイトル曲 M-5 ≪ Bellwether ≫。パット・メセニーを彷彿とさせるラージュのソロも素晴らしい。その計り知れない潜在能力に驚いてしまう。まさに変幻自在の脅威の新人だ。

高速7拍子の M-6 ≪ Minor Celebrity ≫を経て、最終曲はドビュッシーの≪ String Quartet in G Minor ≫のカヴァ。キコスキとシーマスのソプラノでゆっくりと優雅に始まる。EGEA諸作のチェンバー・ジャズを想起させるサウンドから徐々に陰影感のある高尚な音世界に移行して行く。シーマスのどこまでも透明なソプラノの音がいつまでも頭の中で鳴り響く。
 
シーマスは子供のころはクラシックのバイオリンを習っていたことがあり、このドビュッシーの弦楽四重奏は大学時代によく聴いたそうだ。

僕個人的に云えば、電化サックスを過激に吹きまくっていたファンク・ジャズ作品 『 Bloomdaddies 』 ( 1996 Criss Cross ) あたりが最もシーマスらしさが表出していた時期だと思っているので、今回の全編アコースティックで比較的真っ当なジャズを聴いていると、なんだか時間軸を逆走しているような錯覚を覚える。

がしかし、これはこれで彼の瑞々しく洒落たセンスが光る傑作であることは間違いない。しかも彼は確実に巧くなっている。ミュージシャンの演奏力は、年々その性能を確実にアップさせていく家電製品と違って、必ずしも経年向上していくわけではないので、シーマスのようなプロのミュージシャンは珍しいのではないか。

クリス・ポッター同様、NYコンテンポラリー系では目覚ましい進化を遂げているシーマスに、今後も目が離せない。

Seamus Blake / Bellwether  ( amazon )  星1つ星1つ星1つ星1つ
2009  Criss Cross  1317

Seamus Blake  ( ts, ss )
Lage Lund  ( g )
David Kikoski  ( p )
Matt Clohesy  ( b )
Bill Stewart  ( ds )

Misha Piatigorsky / 17 Rooms

2009年11月01日 18:57

Misha piatigorsky 17 rooms



モスクワ出身で、現在はニューヨーク在住のピアニスト、ミシャ・ピアティゴルスキ ( Misha Piatigorsky , 1972~ ) の通算8作目となる最新作。

ロシア出身と聞いただけでスパルタニズムなクラシック音楽教育で培われた超絶技巧の馬鹿テク・ピアニストを想像するだろう。食肉界で喩えるなら、松坂産というブランドがその旨さを保証しているのと同様に、ロシア産ピアニストというブランドはその巧さを保証するものであると云える。

しかし、エヴジェニー・レベデフ、エルダー・ジャンギロフ、それからティグラン・ハマシャンらなど、米国で活躍するロシア出身の精鋭達に比べるとピアティゴルスキ はややテクニック的には見劣りするかもしれない。

それでも、2007年の前作 『 Uncommon Circumstance 』 は日本でも輸入盤ウォッチャーらから高い評価を得たり、その後に再発された初期作品なども好評を博し、彼を密かに愛するファンはけっこう多い。僕もそんなファンの一人だ。

メンバー的にはドラマーが前作同様、アリ・ホーニグが担当しているが、ベースはオーストリア出身のハンス・グラヴィシュニヒ ( Hans Glawischnig ) から、モスクワ出身でミンガス・フォロワーの最右翼として活躍中のボリス・コズロフに変更されている。

前作はローズなども取り入れたコンテンポラリー路線に接近したジャズであったが、今回は完全にアンプアグドで、比較的オーソドックスなジャズを演奏している。ただし、ピアティゴルスキの自曲群は、カタルーニャの酒場からベルサイユ宮殿の祝宴まで、様々な夢の世界に聴き手を誘う、非常に色彩感豊かな曲ばかりだ。

Alessandro Carabelli feat. Franco Ambrosetti / Aphrodite

2009年11月01日 15:16

alessandro carabelli



リーダーのピアニスト,アッレサンドロ・カラベリ ( Alessandro Carabelli ) はイタリアのヴァレーゼ生まれの42歳。初めて耳にする名前だが経歴をみると既に15年にわたり音楽活動をしてきたベテランのようだ。ただし今までの共演者リストを見る限りほとんどがイタリア国内のミュージシャンで,しかもリーダー作は本作を含めて2作品しかなく,日本ではよほどイタリアン・ジャズをウォッチしているファン以外は今まで馴染みがなかったと思われる。

全編彼のオリジナルで,基本的には Jarrett-style を踏襲する抒情派ピアニストだが,あくまでイタリアン・スパイスをふりかけた陰影豊かな哀愁感漂う作風だ。

地中海色の光と影のコントラスト。光は眼が眩むばかりに輝きを放ち,影は闇の世界に深く沈みこむ。そんな繊細な色彩情景を喚起させる楽曲が並んでいる。

タイトルの『 Aphrodite 』(アフロディーテ)とはギリシャ神話におけるオリンポス十二神の一柱で,「愛と美の女神」(英語名はVenus)のこと。まさに1曲1曲がイタリアン・ルネッサンスの絵画を鑑賞しているかのようだ。

フランコ・アンブロゼッティが抑制を効かせた甘美で優雅なミュートを披露し,ルシアーノ・ザドロの優しいナイロン弦ギターの音色も素敵で,それにも増してカラベリの涙腺直撃の美メロにうっとりと,なんてイタリアーノなジャズなの〜,とイタリアに行ったこともないのに叫んでしまいそうだ。そうそう,“ EGEA サウンド + ドラム ”のような趣もある。

最近BGMとして頻繁に聴いていますが,不思議と飽きない。全体に大人しいサウンドで緩急起伏に乏しく一般受けはしないかもしれないが,イタリアン・ジャズ・ウォッチャーには自信を持ってお薦めできる作品だ。

Franco Ambrosetti / Grazie Italia

2009年11月01日 05:56

franco ambrosetti grazie italia

ちょっと早起きした日曜日の朝。薄紫に色付きはじめた東の空を眺めていたら、無性にアンブロゼッティ を聴きたくなった。

イタリア系スイス人であるフランコ・アンブロゼッティ ( Franco Ambrosetti , 1941~ ) がイタリアのカンツォーネや民謡を題材にして2000年に制作したイタリア賛歌集。

アンブロゼッティ はイタリアとの国境に近いスイスの南部の都市、ルガーノ ( Lugano ) に生まれた。スイスのイタリア語圏では最大の都市だ。サックス奏者である父親、フラヴィオ・アンブロゼッティがそうであったように、彼もまた60年代から国境を越えてほどないところに位置するミラノで音楽活動を開始していた。そのため、文化的にはもちろんのこと、音楽的にもイタリアから多大なる恩恵を受けていたようだ。

イタリアでの40年以上にわたる演奏活動を通じて、彼は数々の素晴らしいイタリア音楽に接し、それらを自分のレパートリーとして演奏してきた。

そして、アメリカで誕生したジャズが、母国アメリカの愛唱歌をスタンダードとして演奏するように、欧州のミュージシャンも自らの国の愛唱歌をジャズで演奏するべきだよね、という気持ちから本作を企画したと、アンブロゼッティは語っている。

本作では曲によってメンバー編成を変えている。ソロからカルテット、最も大編成な曲ではテンテットなど、カラフルだ。管陣営ではエンリコ・ワヴァやマウリツィオ・ジャンマルコなどベテランの参加が目を引く。フランコの息子であり、たびたびフランコの作品で共演しているソプラノ奏者、ジャンルカ・アンブロゼッティも参加しているし、さらにフランコの父親、フラヴィオもゲスト出演しているのも微笑ましい。親子三代で奏でる ≪Estate ≫に胸が熱くなる。

ピアノはアントニオ・ファラオが5曲、ダト・モロニが6曲担当している。イタリア最強の豪腕ピアニストを聴き比べられるのも嬉しい。そしてフリオ・デ・カステリ、ロベルト・ガトーがボトムを支える。

冒頭曲、≪ Roma Nun Fa La Stupida ≫ ( ローマよ今夜はふざけないで ) を聴いただけで、訳もなく幸せな気分になってくる。この曲はナポレオン時代のローマの下町を舞台に庶民の英雄の大男が大暴れする恋とアクションの痛快劇 『 ルガンティーノ 』 の 中で繰り返し歌われ、フィナーレでは全員で歌う劇中最大のヒット曲。

僕個人的には、イタリアの曲と云って真っ先に頭に思い浮かべるのがこの ≪ローマよ今夜はふざけないで≫ だ。イタリア独特の哀愁に満ちた美味しいメロディーが満載の美曲だろう。 ジャズ・ミュージシャンにもカヴァーされることもある ≪ローマよ今夜はふざけないで≫だが、古いところではアルド・ロマーノの93年作品 『 Canzoni 』 でパオロ・フレズが吹いている。最近ではファブリツィオ・ボッソ&アントネロ・サリスの作品 『 Stunt 』 にも収録されている。僕が一番好きなカヴァーはラリー・フランコ ( Larry Franco ) の『 Import-Export 』に収録されているヴァージョンで、≪ Bye Bye Blackbird ≫ を引用しながらの洒落たカヴァーだ。



Larry Franco - Franco Ambrosetti - Ornella Vanoni - Paolo Fresu



その他の曲は割愛するが、存外、聴いたことがない曲も多くあり、何度聴いても新鮮な驚きを発見できる曲が並んでいる。

ちょっと甘酸っぱいアンブロゼッティの音色とカンツォーネの哀愁美漂うメロディーが溶け合い、芳醇な香りを放ち、心地よい陶酔感を誘う。

 



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