2009年01月07日 18:10
ミッシェル・ペトルチアーニはなぜ肺炎で死ななければならなかったのか!
これが今日のテーマです。
まずは本題に入る前に、ペトルチアーニの先天性の骨の病気である骨形成不全症( Osteogenesis Imperfecta: OI )について簡単に説明しておきます。
この病気は、1型コラーゲンの質的異常および量的異常から骨にまつわる様々な症状が生じる難病で、 一般的には常染色体優性遺伝 ( 時に劣性遺伝の場合もある )と言われています が、遺伝的素因を持たない遺伝子の突然変異から生じることもあります。
臨床症状としては、
1) 青色強膜
2) 脊椎湾曲症
3) 樽状胸郭
4) 三角顔面
5) 難聴
6) 低身長
7) 多発骨折
8) 脆弱な歯牙
9) 四肢の関節の不安定と筋肉の成長不良
10) 呼吸器障害
11) コラーゲン形成障害
などがあげられます。
そして、これらの症状の出現数や重症度によってタイプ1からタイプ4まで分類されています。( 詳しく知りた方はこちらのサイトを参照してください。ただし英文です。)
青色強膜とは、白眼の部分が青や紫に変色していることです。あらためてペトルチアーニのジャケット写真を見てみると、ほとんどの写真がモノトーンや横顔、あるいは遠景からの姿であるため、青色強膜があるかどうかははっきりしません。もしかすると青色強膜を隠すためのジャケットデザインなのかもしれません。 ( 僕は2回、ライブでペトルチアーニを観てますが、遠目ではわかりませんでした )
また、ペトルチアーニに脊椎側湾症が認められたかどうかも外見でははっきりしませんが、ビール樽のような体幹を示す樽状胸郭という OI の特徴は、彼の写真からはっきりと見て取ることができます。当然、低身長や三角顔貌などの特徴もみられます。
以上にようにOIの特徴をいくつか認めることができるのですが、ここで興味深い事は、典型的なOIの特徴である難聴や四肢の筋力低下などはペトルチアーニには出現しなかったという事です。ここがOIでありながらピアニスト、ミッシェル・ペトルチアーニとして大成できた最大のポイントなのです。
神様はペトルチアーニにOIという難病を背負わせましたが、ピアニストとしての生きていけるようにと、聴力と腕の筋力は残しておいてくれたのです。まさにピアノを弾くためだけにこの世に生まれた神童と言われる所以なのです。
しかし、そんなある意味幸運な彼でも、重篤な合併症の一つである呼吸器疾患は免れ得なかったのです。
ところで前述したように OI は、軽症から重症に至るまで、タイプ1→タイプ4→タイプ3→タイプ2 と、4タイプに分類されています。
タイプ2が出生時か幼少期に死亡する重症型で、タイプ1や4は生命予後が良好なタイプです。ペトルチアーニは主治医から<20歳まで生きれるかどうか>と言われていたという事実から考えると、おそらくタイプ3であったと考えられます。このタイプは運が悪いと成人前に死亡し、運が良いと中年まで生きれるというバリエーションがあります。そしてその最大の死因は胸椎変形や胸郭変形の進行による呼吸不全なのです。
晩年の作品「Both Worlds」のジャケットを見ると、いわゆる「ビール樽胸郭」という異常(胸郭の前後径が横径より大きい)な胸の形が分かると思います。しかも、若いときより20kg近く体重が増加し、かなり呼吸機能が低下していたと考えられます。「ビール樽胸郭」は喫煙者に多く見られる肺気腫(COPD)でも認められる特徴で、呼吸時に胸郭の動きが制限されて十分な換気がなされず、気道感染も起こしやすいといわれています。
このようにいつ呼吸不全に陥ってもおかしくない状態であったにもかかわらず、ペトルチアーニは1999年当時、既に生活の拠点をニューヨークに移しており、その凍りつくようなニューヨークの冬を過ごしていたのです。当然のように風邪をひいたのではないでしょうか。一般人ならなんでもない風邪もOI であるペトルチアーニいとっては死に直結する重大な病なのです。OI の患者さんは咳きをしても肋骨が折れてしまうほど骨が脆いのです。もしかするとペトルチアーニも咳をしているうちに ( 多発 ) 肋骨骨折を起こし、呼吸自体も弱くなってしまったのではないでしょうか。
そして、マンハッタンのBeth Israel Hospitalに入院して抗生剤などの薬物治療を受けたに違いありません。しかし、肋骨骨折のため痰も出せず、深呼吸もできず、徐々に細菌が肺にたまり(肺炎)、痰が肺の奥にたまり(無気肺)、呼吸不全に陥っていったと想像されます。そこで主治医達は呼吸不全の治療ために、肺の中にチューブを挿入(挿管)し、人工呼吸器管理を行おうとしたかもしれません。しかし、挿管自体が「ビール樽胸郭」の患者には非常に困難な処置なのです。もしうまく挿管できたとしても肺気腫様の「ビール樽胸郭」の患者の呼吸器管理は困難を極めます。そしてついに万策尽きて、1999年1月6日、極寒のニューヨークで帰らぬ人となったのです。
生まれ故郷の南仏の町でピアノを弾いていたらもっと長生きできたかもしれません。しかし、未知の世界へ向う彼の好奇心はフランスに留まることを許さなかったのです。Owl レーベルを捨て、Blue Note での仕事を選んだのです。
「毎瞬々々の、今に生きていたいんだ。誰にも次の瞬間のこと、明日のことなど分からない。今に生命を燃やし、今を喜びで満たすことしか、人生にはないのではないか。」
ミッシェル・ペトルチアーニ
以上は、2005年8月17日と18日に 『 ペトルチアーニは何故肺炎で死ななければならなかったのか 』 というタイトルでアップしたテキストに加筆訂正したものです。
ペトルチアーニが亡くなったのは、ちょうど10年前の1月6日でした。
月日が経つのは実に早いものです。







コメント
山帽子 | URL | -
Re: Michel Petrucciani の死因について考える
はじめまして 山帽子と申します。
ミッシェル・ペトルチアーニの死因についての考察、大変興味深く読ませて頂きました。
件のMペト、一時、聴きこんでいたのですが最近すっかりご無沙汰でしたので聴いて見ようかと思っています。情熱の源泉が少し理解できたような気がします。
また、寄らせて頂きます。
( 2009年01月12日 05:24 [編集] )
criss to 山帽子さん | URL | -
Re: Michel Petrucciani の死因について考える
山帽子さん、はじめまして。
山帽子さんは「廃盤ジャズCD倶楽部」を運営されて
いる山帽子さんでしょうか。
そうでしたら、ちょくちょく拝見させていただいているので、まんざら初対面ではないのですが。
拙ブログにもたびたび来られるMartyさんも、貴ブログにコメント寄せていますよね。
ゴイスさんといい、山帽子さんといい、江戸川亭さんといい、廃盤超マイナーなCDに関する知識が豊富で、いつも感心しております。
コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお付き合いの程を。
( 2009年01月12日 14:49 [編集] )
山帽子 | URL | -
Re: Michel Petrucciani の死因について考える
Crissさん おはようございます。
『廃盤ジャズCD倶楽部』という訳のわからないブログをやっている山帽子です。
過日、訪問履歴という機能(?)があるのを初めて知り貴ブログへたどり着きました。
リンクさせて頂きます。
今後ともよろしく願います。
山帽子
( 2009年01月13日 05:48 [編集] )
criss to 山帽子さん | URL | -
Re: Michel Petrucciani の死因について考える
やっぱりそうでしたか。
山帽子さんが紹介している作品の9割は
全く知らない作品です。いや〜凄いところを
掘っているな、この人は、といつも感心してます。
聴いてみたくてもどこにもないCDばかりですので、
たまには誰にでも手に入る名盤も紹介してくださいね。でもそれじゃタイトルの「廃盤CD〜」ではなくなっちゃいますもんね。
それにしても同じジャズのブログを書いていても、皆さん、十人十色で面白いですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
こちらからもリンクさせていただきます。
では、また。
( 2009年01月14日 22:56 [編集] )
コメントの投稿