雨の日にはジャズを聴きながら90年代以降のジャズを気ままに綴っています。 旧ブログ 『 雨の日には JAZZ を聴きながら 』 からのデータ移行は終了しました。ジャズ以外にも、時々デジタル関連の物欲記事、最近ハマっているカメラの話題も少しアップしています。 

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青木智仁さん 死去。

   ↑  2006/06/14 (水)  カテゴリー: 未分類

なんと,青木智仁さんが612日に亡くなってしまいました。急性心不全だったそうです。今日の夕方,新聞の訃報欄をたまたま見たら青木智仁さんの名前が目に飛び込んできて,一瞬心臓が止まりそうでした。まだ49歳の若さです。幾らなんでも早すぎですよね。心筋梗塞だったのでしょうか。

僕が青木智仁さんを知ったのはかれこれ
20年以上も前のことです。角松敏生さんのバンドで活躍していた頃です。当時僕は大学生で新潟に住んでいて,軽音楽部でジャズのベースを弾いていたのですが,友人に角松のコピーバンドをやろうよと誘われたのがきっかけで聴くようになり,そこで青木さんを初めて聴いたのでした。まだスラップと言う言葉などなく,チョッパーと呼んでいた頃です。当時,日本でチョッパーの名人は鳴瀬喜博と桜井哲夫,それからナニワエクスプレスの清水興ぐらいなもので,3人ともジャズ,フュージョン界のミュージシャンだったので,ポップス界に青木さんのような凄いスラッパーがいることに大変驚きました。ある年の角松さんのコンサート終了後に,友人と打ち上げをかねて近くのバーに立ち寄ったら,なんと角松さん達も綺麗な女性らと打ち上げをしていて,角松さんとお話をしたことがあります。そこにはメンバーがほぼ全員集まっていたのに,青木さんだけいなかったので,僕が「ところで青木さんはどうされたんですか」と尋ねたら,「今日は別口で飲みに行っちゃたみたいだね」と答えてくれたのを覚えています。どうってことない会話でしたが今でもつい此間のように覚えています。

青木さんは当時,
fender jazz bass を使っていたと思うのですが,最近はAtelier Zのベースを使用しているようです。まあ,Atelier Zはオーナーの本橋さんと青木さんの二人三脚で大きくしたブランドといっても過言ではないでしょう。基本的にfender jazz bassの流れを汲む音創りです。低音は重量感があり豊かで,それに対して高音はすっきり抜けがいい。いつも新品の弦を張っているようなクリアな音色。悪く言えばドンシャリ。エフェクターはほとんど使用せず,コーラスをかけて透明感をアップさせる程度。アンプは使用せず,ラインで送るだけ。マーカス・ミラーやネイザン・イーストのような音色,乗りで当時から日本人離れしていました。

青木智仁と言うと最近の若い人には「
Dimension 」や「 Source 」などのバンドでの活動の方が有名でしょうかね。僕も「Dimension 」は1990年代にはよく聴いたものです。8th9thまで買った覚えがあります。「Source 」もIIまでは持ってます。昔,「堀井勝美プロジェクト」という堀井勝美のアルバムがありましたが,「Dimension 」はそれに似ていて,僕の頭の中ではいっしょくたんになってしまっています。しかも「Dimension 」と「 Source 」もメンバーが重複したりしていて出てくる音も似通ってしまい,結局,日本人が創る<フュージョン>って,どれもこれも一緒だね,という結論に到達し,僕は<和フュージョン>を20世紀の終わりを持って卒業したわけです。

そんなわけで,最近の青木さんの活動はあまり知らないのですが,忙しいスタジオワークと自己のバンド活動,ジャズ・ミュージシャン特有の不規則な生活などで,心身共に疲れきっていたのでしょうか。とある教則ビデオで「僕は頼まれたら嫌とは言えない性格なもので~」と話していました。無理していたんでしょうね。

「素晴らしいベーシストを紹介しま~す。あおきともひと~。」
角松さんがコンサートでよく言っていたのを思い出します。角松さんに信頼され,20年以上もサポートしてきた青木さん。沢山の名演奏をありがとう。

人生は多分,自分が考えているより,少しばかり短いのかもしれない。

ご冥福をお祈りします。


Source 『 Source 』1997  P-Vine Nonstop
青木智仁と石川雅春(ds)が中心となり,小池修(sax),梶原順(g),小林正弘(tp)らと結成したフュージョン・バンド。本作はその1st。でもその前から5年程,ライブ活動していたようです。マイルスの『デコイ』あたりやブレッカー・ブラザーズ,あるいはジョージ・デュークっぽいファンクもあったりの,ごった煮アルバム。でも楽曲の出来は非常によく,今でもたまに聴いたりするととっても新鮮です。そう言えば,石川雅春は角松のコンサートで叩いていたような記憶があります。アルバムでは村上秀一や林立夫らが叩いてましたが。


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Comment


はじめまして,

拙ブログへの訪問に感謝いたします。

青木さんのことを直接ご存知の方からのコメントなんて,ほんとうにありがたいです。感謝いたします。

やっぱり青木さんて厳しい方だったんですね。映像での話し方などを見ていると柔和な優しい方かと思いますが。

個人的には,たとえばNYあたりでも通用するのは,鳴瀬でも桜井でもなく,青木さんだと思ってましたが,ホント,残念です。しかも僕の周りに青木智仁という偉大なベーシストの存在を知る人がいない(ジャズ・ファンであっても)というのが,僕を更に悲しませるんですよね。

またお暇なときにご訪問ください。いつまで続くか分からない軟弱ブログですが。

では,また。

criss to miyabijune |  2007/01/27 (土) 20:58 [ 編集 ] No.2096


青木さんのこと

はじめまして。jazzの検索で飛んできました。あまりにも素敵なブログなので読み進ませて頂きました。ベーシストなんですね、私も昔jazzやっていまして多少青木さんとも交流がありました。ドラムやってます。

 もしかして去年の6月の事書いてあるかなあとふと思い開いてみると、やっぱりそうだ。青木さんの事が書いてあった。亡くなった時は、毎晩青木智仁を検索して一人で泣いてました。子供が不思議がってましたけど・・・私もアフロヘアーの細々とした目を合わせ
て離せないようなシャイな彼しか知りません。同じ音楽をやっていたにもかかわらず、私は途中断念し、彼の活躍を雑誌で見守っていました。

 角松バンドの始めてのレコーディングのテープを私たちに聞かせて感想を求めました。その時の友人の一人が「今日本にこれだけ弾けるひとなかなかいないよ、青木さんは絶対メジャーになるよ」といっていました。その通りになりましたけど・・・

私がよく言われた事→譜面(初見)読めないと仕事ないぞ!いろんな音楽聴けよ!好きなジャンルは自分を固めてからやったって遅くない!jazzに拘るな!

著名な方が色々とコメントされていますが無名の時からやはり、怖かったですね。物事を構築する力、今自分は何をやるべきか、がちゃんと見えていて”音楽で食べる”という意識がかなり強烈でした。いつでも練習していました。彼はベーシストでなくても人生の成功者になる素質あったような気がします。

 今、本田雅人GのDVDを見ながら懐かしい気持ちと悔しい気持ちが入り混じり複雑な気持ちで見ています。

 バンドはやらないんですか?年月を経てやると当時気が付かなかった事が沢山ありますよ、当然テクニックは落ちていますけどね。おじさんやおばさんだってばんどやりたいよ~って。またおじゃまします。長々と失礼しました。

goo ID:miyabijune |  2007/01/25 (木) 01:04 [ 編集 ] No.2097

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